PassionWave

主に釣りに関したことを書いたブログ

釣り、童心に帰る

7/28神津島への遠征は忘れられないものとなった。こんなところに来てこんな釣り方があってしかもこんなに良く釣れる、こんな釣りがあったとは。もちろん銭洲、藺灘波、神津島なんかは聞いたこともあったしyoutubeなんかで見たこともあったが、実際に経験することで正直カルチャーショックを受けてしまった。世の中には色々な釣りがあるのだと実感した。

瀬戸内海の島育ちということもあり釣りは小さい頃からやっていた。たしか小学生の頃から自分で仕掛けを作りはじめていた。針とハリスの結び方を覚えたのもその時だ。小学生ながら本で調べて何回も練習したのを覚えている。今はもう絶版になっているが釣りの科学という本を買って読み込んだのも覚えている。それで得た知識を実際の釣りに応用しながら経験を積んでいった。当時よく釣っていたメバルに関しては大人にも負ける気がしなかった。そんな少年時代だったが、中学3年の時の阪神大震災を機にあまり釣れなくなってしまった。それまでは良型のメバルが良く釣れてたしアジの回遊もあって本当に良く釣れてたのが小型のメバルしかいなくなりアジの回遊もなくなってしまった。漁師も魚が少なくなったと言っていた。それ以降は他県の学校に進学したりで帰省の時にしか釣りは出来なくなっていた。そして関東の大学に進学し、さらに釣りからは遠ざかってしまう。そこで覚えたのがヨットとサーフィンだった。島育ちで海が大好きなのでヨットとサーフィンにはすぐはまってしまった。瀬戸内海しか知らなかった僕にとってウネリのある太平洋は少し怖かったがそのような外洋や九十九里のようなロングビーチがむしろ当たり前になっていった。夏休みなどには宮崎や鹿児島にサーフトリップに行くようになり釣りの頻度はさらに減ってしまった。もちろん就職してからもサーフィンは続けていたのだが海のない埼玉に移住してからは海から遠ざかってしまい結果的にサーフィンからも遠ざかってしまった。

肉よりも魚を食べるのが大好きで、島育ちということもありスーパーなどで買った魚では満足出来ず、やはり新鮮な魚が食べたいという欲求は常にあった。やっぱり釣りが好きだったのだ、そこで自分で釣ってきて食べるのが一番確実だと考えるようになった。それから、職場の釣りをする人と一緒に行くようになった。サーフからヒラメを狙ったり、堤防からアオリイカを狙ったりと。瀬戸内海と比べてしまうと釣果は決して満足出来るものではなかった。そうしてるうちに釣れる釣りをしようということになり船釣りをすることになった。東京湾のシーバスやアジなどが始まりだった。船釣りの経験はそれまでなかったので少し敷居が高いと感じていたのだが、慣れてしまったのと船釣りの釣れる面白さに惹かれてそこからどんどん行くようになった。ターゲットがヒラメとなり、そしてとうとうマハタになっていったのだった。マハタを始めたのは去年の4月のことだった。それからはもうすぐにはまってしまい常連の仲間入りを果たしたのだった。

もっぱらKK丸に通うようになり常連客と仲良くなり、新たな釣り仲間が出来た。そんな時に神津島に誘われて新たな釣りを経験し、もっと色々なところに行って色々な釣りを経験したいという気持ちが芽生えてきた。

モロコはいつかは釣り上げたい。そのために色々と経験しながら技術を磨いていきたい。銭洲や藺灘波、さらには吐か喇にもいつかは行ってみたいなんて思っている。

やっぱり釣りは本当に楽しい、これだからやめられないのだ。